文化遺産
「秦唐の歴史を見るなら西安、明清なら北京、両漢なら徐州」と言われているように、徐州には両漢文化が多く残っている。「漢文化景区」には「漢代三絶」と言われる漢墓の楚王陵、漢兵馬俑、漢画像石など漢文化に触れられる観光地が沢山あり、徐州の代表的な漢文化観光エリアになっている。
劉邦が即位し、封国の一つとして今の徐州が“楚国”となり、漢時代の18人の楚王はすべて劉家の子孫が即位した。この事は劉邦が徐州の地を、他の封国に比べ重要視していた証と言える。
歴代の劉氏楚王は死後、殆どが徐州周囲の山の陵墓に埋葬され、それら陵墓は規模が大きく、発掘物の数量も驚くほど多い。
発見された徐州にある漢墓の中で、規模が最も大きいのは亀山漢墓である。 山の形が亀に似ていることから、亀山という名が付いた。ここは徐州六代目の王墓で王と王妃が夫婦で埋葬されている。 中には15の墓室があり主寝室、客間、居間、キッチン、厩舎などが整備されており、まるで地下にある宮殿の様になっている。 陵墓の中心から出口までは56メートルの通路があり、盗掘を防ぐために通路には6.7トンもの巨石で塞がれている。
徐州漢文化景区は約93平米があり、「漢代三絶」と言われる獅子山楚王のお墓、漢の兵馬俑博物館、水底兵馬俑博物館、漢石碑長廊など、徐州の代表的な漢文化観光エリアで市内から遠くなくアクセスも便利になっている。 ここでは王陵墓の中を見学できたり、秦の兵馬俑と並び有名な漢の兵馬俑が見学できる。神秘的な陵墓を探検の旅をしてみよう。
漢代の石碑は陵墓や祠堂の壁に飾る彫り絵であった。 内容は主に当時の神話や伝説、法典精度、風俗人情などが刻まれている。戦国時代の芸術様式を伝承した素朴な味わいがある。
石碑の収蔵、陳列、研究などの機能を持つ博物館。 1989年に開館、2万平米の芸術館には350もの石碑が収蔵されている。
1984年、徐州の東郊外にある獅子山で、遊んでた子供が偶然土偶の頭を見つけた事がきっかけで、考古学者が本格発掘を行い大量の漢兵馬俑が発見された。
兵馬俑は2150年前楚の三代目劉戊の副葬品で、死後も千軍万馬を操り続ける為に、王達は自分の陵墓内に大量な兵馬俑を埋蔵した。
徐州漢文化景区の獅子山楚王陵墓から発掘された兵馬俑は量と種類も豊富で、ローブを来ている役人や長い武器を持つ兵士、弓や甲冑などを十数余もの種類がある。これらは獅子山の兵馬俑が芸術的な価値だけではなく、徐州が軍事的要地であった証でもある。
徐州漢文化景区内にあり、水底から発見された騎兵兵馬俑を中心に、その他の復元された選りすぐりの古代騎兵兵団が展示されている。またこの博物館は中国建築学会のデザイン賞を受賞している。