歴史巡礼
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徐州巡礼,五千年歴史めぐり

徐州の古称は彭城といい、5000年の光輝く文化と2500年の建城歴史を持つ。中国文明史の初期に既に徐州という存在はあった。 徐州は項羽西楚国の首都で、劉邦の出生地、曹操が大切に守り抜いた地など現在でもその交通の利便性により南北の重要中継地となっている。

  • BC770年〜BC221年
    春秋戦国時代

    季子剣掛け台 住所:徐州泉山区雲竜山的之麓

    季札が残した剣

    春秋戦国時代の呉国の王子であった季札は、使者として北方の魯国へ赴く途中、徐国(春秋時代の徐州)を通りかかった。。徐国国王と季札は意気投合し、季札が持参の剣が大変気に入った。季札もその思いを察し北上への任務が終わり、帰途の際に徐国の国王に贈呈すると心に決めていた。ところが季札が再び徐国へ戻った時に国王は既に亡くなっていたが、約束を守るとし亡き国王のお墓にある木に剣を掛けていった。

    马陵山 住所:徐州市泉山区緯四路

    馬陵の戦い

    馬陵の戦いは中国歴史上初の戦略によって大勝利を収めた有名な戦いとして広く知られている。場所は現在の徐州の馬陵山である、孫臏という人物が、かまどを減らしたり、病気を装って敵を油断させ、罠に誘導、大成功で勝利を手にした物語がある。

  • BC206年—BC203年
    楚漢

    項羽戯馬台(こううぎばだい) 住所:徐州市雲龍区戸部山項王路1号

    項羽の都(こううのみやこ)

    勇気と武力兼備の項羽は中国の歴代文人の中に勝者の劉邦よりずっと高い評価が得られ、その勇気と武力は鉅鹿の戦いでよく表した。兵力で劣る項羽の楚軍が勝利したことにより、秦は継戦能力を事実上失うこととなった。秦が終わった以降、項羽は自ら「楚王」と名乗り、彭城に都を置いた。
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  • AD220 - AD280
    三国時代

    轅門射戟台 住所:徐州市沛県湯沐西路4号沛県博物館内

    兵家が必ず争う要地

    徐州は東漢後期に曹操、呂布、劉備と袁術などが争った要地であり、徐州の戦で、曹操は劉備を負かし、徐州を支配した。
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  • AD581 - AD907
    隋唐五代時代

    燕子楼住所:徐州市泉山区雲龍公園内

    関盼盼の物語

    唐王朝時代に徐州出身の関盼盼という女性がいた。彼女は歌や踊りのみならず、書道、琴などの教養も高く、唐王朝の有名な《霓裳羽衣曲(げいしょうういのきょく)》という踊りも堪能だった。燕子楼は彼女が夫を亡くした後に隠居した場所であり、ここモチーフに作られた詩作もあと立たなく、詩人の白居易も《燕子楼》の詩を書いたことがある。

  • AD1368 - AD1911
    明清時代

    窟湾古鎮 住所:徐州市新沂市窑湾镇

    京杭大運河

    運河は隋朝時代から堀り始め、明清時代に開通となり、沿線の経済も運河の開通によりすざましい勢で発展した。窟湾古鎮はかつで京杭大運河の重要埠頭であり、江蘇省北部と山東省南部の重要貿易拠点として、中国国内の八個の県がここで商工会を設置していた。

    戸部山 住所:徐州市雲龍区徐州市状元街5号、項王路1号

    人財の宝庫

    明清時代に科挙制度が盛んに行われ、徐州にも数多くの書学院があったため、人財も多く育成していた。官僚や学者などの貴族はほとんど戸部山地域に住んでいたため、今もそこに多くの名清時代の歴史的建造物が残っている。

  • BC2146年頃ーBC771年頃
    夏、商、周王朝時代

    彭祖楼 住所:徐州市泉山区緯四路

    彭祖故里

    徐州の古称は“彭城(ほうじょう)”呼ばれ、これは中国の歴史書に徐州を“彭国(ほうこく)”とする記述があったためだ。彭国(ほうこく)は、上古の堯舜時代に伝説の長寿者の名前で、この彭祖(ほうそ)によって収められていた地域であった。彭祖は800歳余り生たと言われており、道教の仙人と言われている。

  • BC221年〜BC207年
    秦王朝

    泗水河で鼎を探している様子を描いた石の彫刻

    泗水河の鼎探し伝説

    泗水河の鼎探し伝説BC219年、秦の始皇帝は東方巡察の際に彭城を通り、周王朝時代に泗水河に沈んだ九脚鼎と言われる宝物の噂を聞き、数千人を使って、その鼎を探したが結局見つける事はできなかった。伝説では泗水河で鼎を探し当てたが、突然鼎の中から一匹の龍が現れ、鼎を縛ったロープを破り、再び鼎は水に沈んでいき、それ以降見つけることができなかったと言われている。

  • BC206 - AD220
    後漢

    徐州漢文化景区 住所:徐州市雲竜区東三環兵馬俑路1号

    煌く両漢の文化遺存

    「秦唐の歴史を見るなら西安、明清なら北京、両漢なら徐州」という諺がある。徐州の「漢文化景区」には「漢代三絶」と言われる漢墓の楚王陵、漢兵馬俑、漢画像石などの漢文化に触れる事が出来る観光地が沢山あり、徐州の代表的な漢文化観光エリアになっている。詳細へ

  • AD265 - AD581
    魏晋南北朝時代

    興化禅寺 住所:徐州市泉山区湖東路雲龍湖旅遊景区内

    仏教の発展

    この時代に仏教は急速に発展し、かつでない繁盛な時代だった。徐州にある興化禅寺(コウカゼンジ)、竹林寺(チクリンジ)、茱萸寺(グミジ)、宝莲寺(ホウレンジ)は全部この時期に建設されたものである。 雲龍山の興化禅寺内に石造の阿弥陀仏を祭られ、仏像が掘り始めたのは北魏正平(450年)時代、今になって既に1500年余りの歴史がある。

  • AD960 - AD1368
    宋元時代

    黄楼 住所:徐州市鼓楼区黄河南路

    蘇軾(そしょく)が徐州を治める

    蘇軾は徐州の長官として2年間のみだったが、就任後即時に洪水災害を治り、庶民の間で声望がたいへん高く、黄楼も蘇軾が治水の功績を記念し建設されたものである。 同時期に文豪としても蘇軾が徐州で多くの遺跡を残していた。

  • AD1949〜現代

    雲龍湖旅遊観覧景区 住所:徐州市泉山区湖東路

    現代の徐州

    徐州は江蘇省、山東省、河南省、安徽省、4個の県を隣接する場所に位置し、淮海経済区の中心都市でもあり、江蘇省の4つ重点開発計画都市と3つ重要核心都市の対象と選定されている。交通利便性が高く、5個の県と繋がっているため、中国で重要な交通要衝である。
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徐州市文化広電・観光局
住所:徐州市新城区漢風路1号
TEL:86-516-83682011
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